「すみだの失われた地名を辿る旅」講演要約
2026年3月7日 墨田区立ひきふね図書館 第216回すみだ文化講座より(講師:五味和之)

本日は、隅田川、そして現在の墨田区周辺に残る地名を手がかりとして、この土地がどのように形づくられ、人々がどのように暮らしてきたのかをたどってまいります。はじめに申し上げておきたいのは、地名というものは単なる名称ではなく、先祖代々の記憶や感情と深く結びついた、非常にデリケートな存在であるということです。発音や解釈の違いだけで意見が対立することも少なくありません。そのため本講演では、断定を避け、「こう考えられている」「こういう説がある」という形で、複数の見方を紹介する姿勢を大切にしています。
地名の成り立ちを大きく分けると、二つの系統があります。一つは、川や島、湿地、植生といった自然環境や地形に由来するもの。もう一つは、人が住み始めたこと、田畑を開いたこと、あるいは行政的・政治的な必要から生まれた、人為由来の地名です。奈良時代には「好字二字令」によって、村名を縁起の良い漢字二字で表記することが定められ、これが現在に続く地名表記の基礎となりました。
隅田川の名称も、初めから現在の形であったわけではありません。古い記録には「明日田川」「須田川」などの呼び名が見られます。川中に土砂が堆積してできた洲、いわゆる「須(す)」の上に人が住み、田を開いたことから「須田」という呼称が広がり、それが後に「隅田」と表記されるようになった可能性が指摘されています。また、「隅田川」と「墨田区」で異なる漢字が使われているのは、戦後の当用漢字政策と行政上の判断によるものです。
後半では、向島・本所地域の地形的特徴に目を向けました。この一帯は、利根川水系の旧流路にあたる低湿地帯で、かつては島のように浮かぶ土地が点在していました。そのため、寺島、牛島、向島、亀島、受地、大畑など、島状地形や土地利用を反映した地名が数多く生まれています。牛島は放牧地としての役割を担っていた可能性があり、寺島は一つの島に複数の寺院が存在していたことに由来すると考えられています。地名は、当時の暮らしを映し出す手がかりでもあるのです。
さらに、有原業平、梅若丸、ヤマトタケルと弟橘媛といった文学や神話の登場人物が、この土地の記憶として地名や信仰に影響を与えてきたことにも触れました。地名とは、自然、歴史、人間の営みが幾重にも重なり合って形成されたものです。現在の町並みや災害リスクの背景にも、こうした過去の地形や水の痕跡が色濃く残っています。地名を知ることは、この土地の性格と向き合い、これからを考えるための重要な手がかりになるのです。


